一度は訪れて欲しい震災遺構「中浜小学校」
今回は東日本大震災の遺構「中浜小学校」について紹介します。
2011年3月11日に東日本太平洋沿岸を襲った大震災は皆さんも覚えているでしょう。
震災から10年以上が経ち当時の記憶や情報は徐々に薄れているように感じます。
特に被害が大きかった沿岸地域では震災遺構や伝承感など、当時の情報を風化させずに後世に伝える努力をしています。
その中の1つ宮城県にある震災遺構「中浜小学校」にいき津波の破壊力、恐怖を肌で感じてきました。
今回の記事では実際に被害にあった校舎内の写真を踏まえて紹介します。
震災遺構とは?
震災遺構とは震災が起きたという記憶や教訓を後世に伝えるために存在します。
東日本大震災の遺構は計40件以上存在します。
被害が大きかった地域では遺構として残す努力をした建造物もありましたが、維持費用が莫大なために取り壊しを余儀なくされたものもあります。
遺構として残っている建造物は復興交付金だけでは維持が難しく、民間が管理している施設もあります。
残っている建造物は過去の記憶として当時の状態で保存されています。
多くの方の支援によって後世に伝えられる震災遺構は多くを学べる場でもあります。
老若男女問わず、多くの方に訪れていただきたいです。
宮城県山本町 「中浜小学校」
宮城県山本町にある中浜小学校は海から400mの位置にありました。
震災以前は小学校の周囲に多くの住宅が立ち並んでおり中浜小学校の生徒が暮らしていました。
小学校がある山本町では震度6強を観測し、死者637人を出しています。
中浜小学校の屋上からは海を見ることができ、とても爽快な景色が広がっています。
しかし、震災当時は防波堤を超える大津波によって周囲は全て流され校舎の2階天井まで浸水しました。
校舎には生徒59名、職員14名、地域住民17名の合計90名がいましたが全員無事でした。
当時の校長は震災後すぐに津波到達の情報を知り、瞬時に水平避難をやめ垂直避難を選択しました。
そのおかげで90名の命が無事だったと言われています。
震災遺構の内部(1階)
中浜小学校では入館料を支払うことで実際に校舎内に入ることができます。
震災当時の状況がそのまま残っています。
※ここから写真を踏まえて紹介していきます。
生徒玄関は扉どころか壁まで残っておらず津波の破壊力を感じることができます。
隣にある職員玄関は幸いにも枠が残っていますが、両脇の壁や窓枠はほとんど残っていません。
生徒玄関を入ると目の前に広場があります。
震災前は生徒の集会も行われていた場所でした。震災後、津波の通り道となった広場には校舎内外から流れてきた瓦礫が多く溜まっていました。
窓ガラスの跡を見るとどの部分まで津波が流れてきたかが分かります。割れている部分から津波が流れ出していきました。
1階部分は津波の影響が大きく、当時の机や棚はほとんど残っていませんでした。
職員室・校長室には大きく重い机が置いてありますが、津波で跡形もなく流されていました。
1階中庭部分には津波到達ラインが記されています。
あと少しで校舎全体が飲み込まれる高さまで達していることが分かります。
2階部分にあるステンドグラスは6枚中1枚だけが割れ、残り5枚は当時のまま残っていました。
震災遺構の内部(2階)
ステンドグラスの裏には階段があり2階に上がることができます。
階段部分に大きな損傷はなく、津波がどの方向から流入してどこから流出したかが見て分かります。
階段を上がると少し広めの広場があります。ここに揺れがおさまってから全生徒・職員を一時避難させたようです。
津波の到達に備え2階へ垂直避難させました。しかし予想を超える津波の高さに職員はさらに上へ避難することを瞬時に決断しました。
中浜小学校の屋上は普段使われておらず、子供たちが遊びで登らないよう隠れた場所にありました。
1人がやっと通れる幅と急勾配の階段は避難の時に初めて登る生徒がほとんどだったようです。
2階には音楽室があり、映像を通して当時の状況を知ることができます。
映像を視聴後、スタッフの方が屋上まで案内してくれます。
90名が避難していた屋上倉庫も見学できますが、スタッフ同伴かつ写真の撮影が禁止されています。
屋上には避難した際に使用した物がそのまま残っています。
津波が押し寄せ、逃げ場がない状況で寒い中屋上倉庫で一晩過ごした小学生は本当に辛かったと思います。
また生徒の安否に気を配りながら眠らず対応し続けた教師、大人の皆さんも心身ともに疲弊したことでしょう。
震災遺構から何を感じ、何を学ぶか
今回は東日本大震災の遺構「中浜小学校」について紹介しました。
震災遺構は中浜小学校以外にも残されています。
当時の状況を見た目から物語、津波の破壊力・恐怖を知ることができます。
他にもどういった行動が人命を救い、またその逆にもなりうるのか真剣に考える機会になります。
同じことが繰り返し起こらないことを願いたいですが、震災はいつ起きるか分かりません。
中浜小学校を含め、残されている遺構や情報から大事なことを学び後世に伝えていく必要性を強く感じました。
遺構や伝承感から当時のことをどう感じるかは人それぞれです。
是非とも1人でも多くの方が当時の記憶・情報を後世に伝えていただければ幸いです。
また次回の記事でお会いしましょう。それでは〜
※中浜小学校の地図